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(日本語) External mindsetのススメ シーズン2 自分のやりたいことをやる 営業部 深沢さん

External mindsetをもって仕事にあたっている社員の⽅から、その⼼構えやマインドセットを聞かせていただく「External mindsetのススメ」。新年度からリニューアルして再開いたします。ジヤトコにはExternal mindsetを発揮して仕事や人生を充実させている方々がたくさんいます。さらに幅広い分野、年齢の方々を発掘し、お話を伺っていきたいと思います。

リニューアル後は、営業部の深沢さんのインタビューからスタートです。2012年から2年間、ジヤトコタイランドで女性としてジヤトコで最初の海外赴任を経験された深沢さんから、海外でのご経験を中心にご自身のマインドセットについて伺いました。

深沢さん:インタビューの最初に「あなたにとっての外界志向、External mindsetはどんなことですか?」と聞かれたのですが、あまりしっくりと来ませんでした。私は「自分のやりたいことのために、タスクをこなし、身につけることを続けてきた結果として今がある」というのが実感で、外界志向が初めに来ていないのです。でも、私の経験が皆さんの参考になるのであれば、とてもうれしいと思います。

(日本語) 海外への扉が開いた

私はジヤトコに入ったときから、海外で仕事がしたいと思っていました。入社した頃のジヤトコはフォルクスワーゲンなどとの欧州でのビジネスがあり、それがやりたくて海外営業部を希望したのです。でも、その頃のジヤトコの売り上げは国内向けが9割で海外向けが1割、海外を向いて仕事をしている人が少なく、海外赴任枠も限られていました。

海外に出る機会がないまま海外営業部で事務業務をしていたのですが、新しく赴任した担当役員とお話しする機会があり、かねてから海外で仕事がしたかったことを伝えました。すると、その担当役員は海外経験が豊富な方で「将来の駐在候補育成のため制度を作ろう」と人事部などと掛け合い、海外でのトレーニングプログラムを立ち上げてくれたのです。決まったときには真っ先に声をかけていただき、人選いただきました。その後、私を含めて4人ほどがそのプログラムに参加したと思います。

プログラムは、海外の大学等に留学しながら仕事も行うというもので、その割合は50%ずつです。2003年にそのプログラムに参加する際、私はクライスラー向けのビジネスを担当していたため、アメリカでその仕事を進めながら留学を行うことになりました。私が30歳のときです。

(日本語) 辞退勧告からのA+

トレーニングプログラムは半年間、ジヤトコ米国にて行われました。仕事は、クライスラー向けCVTの試作の受注出荷を担当しました。フォードやGMとの商談もありました。また、デトロイトモーターショーに出展するため、マニュアルのトラックを運転してトランスミッションを会場まで運んだりもしました。

留学のほうは、もともと高校で英語科だったこともあり、語学研修ではなく、アメリカの大学で10単位を取ることが課題として与えられました。私が選んだのはマーケティングとアメリカンビジネス、コミュニケーションの3科目でした。どの科目も日本人は私ひとりだけでしたが、一番苦労したのはコミュニケーションの授業です。英語を読むことはできたのですが、しゃべるのは少し不得手だったので、2回目の授業のときに教授から「あなたはこの授業についていけないのではないか? 辞退してはどうか?」とアドバイスされてしまいました。でも、会社から費用を出してもらい受講している手前、やめるわけにはいきません。「なんとか続けさせてもらえないか」と頼み込んで継続させてもらいました。出された課題を必死でクリアしていき、最終プレゼンでは皆から拍手をもらい、グレードA+の成績で単位を取ることができました。

ほかの2科目もクラスメイトに「どうやったら成績が上がるの?」と相談すると「教科書を熟読だね」と言われたので、辞書のような教科書を「アメリカ人が1回読むなら自分は3回読まないと」と食事中も読み込んで、2科目ともグレードAで卒業することができました。

(日本語) デトロイトモーターショーにて

(日本語) 正しい判断ができるようになる

海外で仕事をすることが希望でしたが、それまで海外で一人暮らしをした経験がなかったので不安もありました。周りも厳しかった。海外での運転経験がないのに、現地についたら空港でレンタカーを借りてジヤトコ米国まで来なさいと言われたり、ジヤトコ米国からクライスラーまでの45分の道を一回で覚えなさいと言われたり。死ぬかと思いました。

タイへの赴任は2012年から2年間です。ミッションはジヤトコタイランドをゼロから立ち上げ、軌道に乗せることでした。更地から建設を始め、面接を大量にこなし現地スタッフをどんどん雇っていく。トレーニングではない、本当の駐在としての仕事は大変でしたが、アメリカでの厳しい経験が役に立ったと思います。もちろん、タイで学んだこともたくさんあります。

海外で仕事をすることで、私は物事をいろいろな方向から見ることができるようになりました。自分とは違う考え方に触れ、その背景を学ぶことで広い視野から判断ができるようになると感じます。今は、男女平等、あるいは少し女性のほうが強いくらいですが、私が20代の頃には女性はお茶くみをやっていました。少し意見らしい意見を言うと、「生意気」と、それだけで叩かれた時代でもありました。でも、黙っていては変わらないと思い、考えを伝える努力をし、今は自分の経験に基づいた意見が言えるようになりました。苦労した経験が自分の判断、意見を後押ししてくれる。自信になる。海外での経験は私のスキル形成の上で重要な土台のひとつとなりました。

(日本語) 子どもができて開けた世界

ジヤトコタイランドで出会ったタイ人の夫と結婚し、42歳で女の子が生まれました。子どもが生まれて、今までとまったく違う世界が開けてきました。子どもを持った瞬間から、急によその子までもかわいく、動物もかわいい、植物もかわいい。それまで眠っていた母性本能が一気に目覚めた感じです。そして、涙もろくもなりました。あくまで私の話です。恥ずかしながら40を過ぎてから「サスティナブルな世界にはファミリーと子どもによる循環が必要」「子どもは国の宝」ということがしみじみと理解できました。

友人・知人は自分の子どもの話を愚痴交じりに面白おかしく話すだけで、子どもが生まれるということのうれしいこと、楽しいことを誰も真剣には教えてくれませんでした。人生でこれほど自分が必要とされていることはなかったし、純粋に話しかけられることもなかったように思います。子どもから学ぶこと、学ばせてもらうことは非常に多く、今度生まれ変わったら、子だくさんのお母さんになりたいなと思っています。

(日本語) 娘さんが8ヵ月の頃

将来、孫のお世話をすることが今から楽しみです。たぶん私は定年を過ぎても働ける限り働くと思います。80歳で孫の世話をしながら、両立できるなら働く。そういうことができる時代が来るかもしれませんね。

(日本語) やりたいことリスト

高校時代、「大学に行かないで公務員になりなさい」と言う親と衝突して迷っていたとき、先生に「最高の親孝行は自分のやりたいことをやることだぞ」と言われたのを今でも覚えています。やった後悔よりもやらなかった後悔の方が大きいのは確かだと思い、やりたいことはどんどんやってきました。

私は「外からの刺激を受け、それを吸収し、常に自分をアップデートすること」が好きです。40歳を過ぎてからタイ語を学び、今は夫婦間の会話はタイ語のみ、育休時には簿記を学び、そしてここ数年はFXや株式投資を始めました。どれもそれ自体が自分の役に立つだけではなく、それにともなって物の見方が変わったり、視野が広がったりするのです。毎日、朝一番に為替と米国株価の結果や、国際情勢をウォッチするようになりました。常に自分をアップデート。これが私のExternal mindsetなのかもしれません。

私は人生でかなえたい目標を10年間分リストにしています。「日本に家を建てる」「タイに家を買う」「家族3人で暮らす」など、かなったものもありますし、今も努力しているものもあります。かなった目標はリストから外し、新しい目標が出てくると足し、常に10個くらいの目標を追いかけています。それらの目標は見ているだけでワクワクした気持ちになります。そして「今なにをしたらいいか?」を常に考え続けていくのです。

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