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(日本語) 掛川工場を忘れない(前編)
未来に、はばたけ掛川DNA

1997年に生産を開始し、合計1282万台の小型車・軽自動車向けAT/CVTを世に送り出してきた掛川工場が2024年7月26日にその歴史に幕を閉じました。 生産開始以来、同工場が大切にしてきたもの、そしてこの経験をどう生かしていくのか、2週にわたってお届けします。前編は掛川工場の歴史や強みについて代表の方にお聞きしました。

(日本語) 掛川工場の歩み

(日本語) 工場設立時の掛川工場(左)と現在

(日本語) 「4速AT, CVT7, CVT-S…目まぐるしく進化し続けてきた」
保全技術課 大島さん

私は掛川工場に第一陣として来て、保全に配属されました。沼津工場から数名規模で来ましたが、工場の真ん中にはバルブサブラインとオイルポンプサブラインしかなく、広々としていました。 当時は若手だったので、モノを作ることしか考えていませんでしたが、振り返ると、あの時のライン移管は上司にとっては大変だったと思います。今はその立場に自分がいて、1地区へのライン移管は大変なので、身に染みて感じています。当時は4速ATやJatco CVT7、Jatco CVT-Sなど色々な機種のラインを経験し、目まぐるしく動いていたなと。物流の詰所が北側に伸びたり、途中から工場の一方通行が逆になったり、JPHが100台になった時は人が多くて、勤務が昼夜で切り替わる時に駐車場が満車だったことも良い思い出です。

(日本語) 工場設立当時の様子(上)と現在

掛川工場の良さは良く分かっているので、生産終了を聞いた時は「残念」の一言でした。 掛川工場は品証・技術・製造といった横のつながりが強くて、問題があった時の連携がすごい。困っていることがあれば、他部署を交えて解決していく良い工場だと思います。私は保全なので、製造や品証の考え方を踏まえた最善策を検討していました。詰所がつながっているので、何でもすぐに話し合える場所でした。そこも小さい工場ならではでした。 掛川工場の思い出は、ラインを止めてしまうトラブルがあった際、他地区の応援を含めて一致団結で解決したことです。保全として「ラインを長く止めない」のは宿命ですから。

(日本語) 「お客さまとともに成長してきた」
第一品質保証課 岩辺さん

私は1999年から10年間掛川工場で勤務して、メキシコ勤務などを経験した後、昨年度久しぶりに掛川工場に戻ってきました。 掛川工場の生産終了については、 CVTの生産量が少し落ちてきているので、仕方ないかなと。またいつか掛川に工場を建ててもらえれば、と思います。正直、コロナ期間中に家を建てたので、離れたくないな、という思いはありましたが、会社のためならば頑張りたい、という思いです。

(日本語) (左から)3速AT、4速AT、Jatco CVT7、Jatco CVT-S

私は品質保証部なのですが、掛川工場は現場の方を含めた仲間意識を強く持っているので、仕事がとてもスムーズでした。掛川工場の主なお客さまであるスズキ自動車様からもご指導を受けながら、成長していけたと思います。昼夜問わず、情報が入ったらすぐに対策することなどがありましたが、今では良い思い出ですね。

(日本語) 「新しいチャレンジが出来る機会をもらった」
生産技術課 佐藤さん

私は入社4年目で、今年の4月に掛川に来たばかりですので、工場の生産終了と聞いた時は正直急だと思ったことと、業務移管していくんだなという感想でした。上司の方からは、「こういった機会はなかなかない」と言われ、やったことがない仕事という意味では、貴重な体験と思って過ごしていました。 私としては、新しいチャレンジが出来る機会を与えてもらいました。例えば、普段見ることが少ない基準書に目を通して、色々な気づきがあり、視野が広がりました。掛川工場は距離が近いので、部署の垣根を超えた仕事が出来ます。掛川工場に来てすぐに受け入れてもらえ、フラットに話せる関係性を築くことが出来ました。なので、さみしいです。結構さみしいです。今後このような関係性が築けるか少し不安です。

(日本語) 掛川フェスタは今も昔も交流の場に

掛川フェスタもそうですし、去年も早々にバーベキューに参加させていただき、イベントが多くて楽しめました。日が浅い中でもなじみやすい環境を作っていただきました。仕事上でも合間に話す機会が多かったので、本当に楽しめました。

(日本語) 「良い商品を作っているというプライドがあった」
掛川製造課 中村さん

私は1997年5月の掛川工場立ち上げから関わっています。まっさらな状態から小さいサブラインが入った時も見てきました。 最初に(生産終了と)聞いた時はマジかよ、というよりも驚きの方がありました。私だけかもしれませんが、良い商品を作っているというプライドがどの工場よりもありました。 一番の思い出は、2010年にJatco CVT7の生産が始まった時ですね。メンバーには選ばれませんでしたけど(笑)。

(日本語) Jatco CVT7出荷式(左)とJatco CVT-S出荷式

2018年のJatco CVT-Sの時もうれしかったです。掛川工場は、スズキ自動車様などお客さまに育てられた会社だと思います。あとは、品質を守る作業者と監督者のレベルはどこにも負けていません。これは自信を持って言えます。団結力は負けない家族みたいな感じで、同期や家族たちとのつながりでサッカーをやっていました。ジヤトコ主催の大会で優勝したこともあります。楽しかったです。

次週は未来に向けたメッセージをお届けします。

(日本語)

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