(日本語) FY25 新役員紹介! あれこれ聞いちゃいました!
新役員に迫る人気コーナーです!今回も仕事からプライベートの話まで色々聞いてきました。
歴代CVTのユニットまとめなどで活躍されてきた開発部門の中川善朗VP(Vice President)と、ジヤトコ(蘇州)自動変速機有限公司(以下、ジヤトコ 蘇州)で初代総経理を務めた生産部門の斎藤寿VPです。
最後までお楽しみください!
(日本語) 中川善朗VP

(日本語) 実は中途入社です
役員への昇格は大変光栄で身が引き締まる思いです。自動車業界自体が大きな変革期にあるので、我々として何ができるのかをとことん考え抜いて、お客さまに喜んでもらえるものを開発したいという思いですね。
私は2005年に中途入社し、富士本社で部品設計をやっていました。2010年から厚木勤務になり、今回15年ぶりに富士市に戻ってきました。富士では会議はもちろん、出荷式や来客対応などのイベントに参加することも多いですね。

(日本語) Jatco CVT7、Jatco CVT-Xなどの立ち上げに関わった中川VP
(日本語) 地球の自転と同じ働き方?
一番の思い出は、日産自動車時代に将来の2ペダル戦略についてルノーと侃侃諤諤(けんけんがくがく)議論したことです。その結果、グローバルでCVTを採用することになり、それぞれの経営会議で承認いただきました。あれは結構ドキドキしましたね。
あとは、世界初の副変速機付きCVT、Jatco CVT7をグローバル展開したときです。採用・生産も一気に拡大したので、何か問題が起きると朝一番に中国→タイ→インド→ドバイ→欧州→米国の車両工場や開発陣と会議をしていました。地球の自転のように24時間働いていた気がします。あの頃も大変でしたね。

(日本語) 富士勤務時代によく遊びに行った伊豆高原

(日本語) 2014年のSAE-China Congress & Exhibitionでの発表後に訪れた上海にて
(日本語) モットーは2つ
大事にしている言葉は「今日やれることは、今日やる」。明日になったら明日の事情があるので、先延ばしにすればするほどやることが増えます。今の断面の課題を今やってしまうほうが余計な仕事がついてこないのです。失敗する時は大体、先延ばしして、やる必要がなかった仕事がどんどん増えていくケースです。私が関西人なのでせっかちなだけかもしれませんが(笑)。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も」という言葉も好きです。考えずに実行を起こすことへのリスクはありますが、やはり行動できるかできないかは大きな違いです。前向きかつ行動に移すことを考えています。もちろん失敗することもあるので、それをどう受け入れることが出来るかが大事だと思います。

(日本語) フランス勤務時代に住んでいた街 Saint-Germain-en-Laye
(日本語) 本から学んだこと
20~30代に歴史書やビジネス書は狂うように読んでいました。ただ、マクロでみると書いてあることは一緒だなと。「常に正しいことを選択できるように意識しながら働く」という結論に達しました。
私の生まれは兵庫県の加古川市です。川崎重工業などの工場が並んでいるようなところです。高校までは地元で育ち、大学でも就職活動時は求人リストの中から成績順で企業を選べる、という流れで漠然と生きていました(笑)。今の若い人は色々考えて生きていますよね。私なんてインターンシップという言葉も知らないし、エントリーシートすら書いたことない。今の時代、信じられないですよね。
(日本語) 片道3時間の散歩
今は子供も手を離れているので、独身のような生活をしています。週末はよく都内で散歩していて、神奈川県川崎市の自宅から3時間かけて歩いて神宮球場で行われている東京六大学野球を見に行くこともあります。プロ野球の観戦チケットは高額ですが、東京六大学野球は1,000円、2,000円の2タイプしかないのでありがたいです。
あとは日比谷公園で音楽フェスがやっていたらふらっと寄りますし、先日は千鳥ヶ淵まで歩いて桜を見に行きました。これは4時間くらいかかったかな。

(日本語) 週末の散歩で訪れた千鳥ヶ淵

(日本語) 神宮球場にて。試合はヤクルト対DeNAですが、阪神ファンです
(日本語) フラットな関係でいたい
私に求められている役割は2つあると思います。
1つ目が主要なお客さまである日産自動車を主軸に良いものを作ること。
2つ目が新しいお客さまに刺さるような商品開発です。
企画などと連携しながら、最少のリソースでいかに最大の効果を出せるか。それを考えています。
私はリーダーというよりは、フラットに皆さんと一緒にやっていきたいです。今後ともよろしくお願いします。
(日本語) 斎藤寿VP

(日本語) 入社は吉原工場です
今年度は特にジヤトコの転換期になるので、こういったポジションとなり非常に緊張していますが、頑張ります。
私は1992年に日産自動車に入社し、吉原工場の第二技術部に配属され組立技術員としてF04A、F06A、CVT1、CVT3ライン立上業務に従事。2004年にはジヤトコメキシコ社のCVT2ライン立ち上げために出向。2019年にジヤトコ 蘇州の初代総経理になり、2023年にジヤトコの技術統括部の部長として日本に戻り、現在に至ります。

(日本語) 各工場の立ち上げなどに関わってきた斎藤VP
(日本語) 工場立ち上げ提案と対コロナ戦
様々な工場の立ち上げに関わらせてもらったのですが、一番思い出深いのは、ジヤトコ初のCVTであるF06Aを当時の7工場で立ち上げたことです。その後もJatco CVT7などの立ち上げに関わりました。
私は機械が好きなので、大変でしたが辛くはなかったです。辛かったのが、2011年の日産自動車の生産事業本部時代にジヤトコ タイランド社の設立、ジヤトコ(広州)自動変速機有限公司の生産拡大、ジヤトコメキシコ社の第2拠点を経営陣に提案したことです。長年生産ラインの生産技術を担当していた中で、初めて工場の立ち上げ企画を担当したこともあり、右も左も分からない状況で結構大変でした。

(日本語) 2019年のジヤトコ 蘇州オープニングセレモニー
もう一つ思い出深いのは、ジヤトコ 蘇州の総経理だった2020年1月から流行したコロナです。前年11月に生産開始式を行った直後でしたが、中国の厳しい隔離政策がありました。新しい会社なので、地方から社員を呼んでいて、皆さんが感染しないように隔離が必要でした。1月から3月までは会社に出勤できず自宅待機となってしまいました。当時の日本は自主的な隔離のようでしたが、中国は強制的でしたので大変苦労しました。
(日本語) 「辛い時間は、必ず終わりが来る」
辛い時、自分に言い聞かせていた言葉があります。「辛い時間は、必ず終わりが来る」。例えば大事な提案を8月に控えている時は、どんなに辛くても8月には終わる。きっと9月の自分は解放されている、とイメージします。それがないと疲れてしまいます。頑張っていれば、必ず終わりが来ると思っています。

(日本語) ジヤトコ メキシコ社赴任時、街を背景に
(日本語) 機械電気オタクです
小さい頃は親の転勤もあり、生まれは兵庫県なのですが、育ちは九州や東京と転々とし、大学生までは千葉県に住んでいました。入社後は、海外転勤こそよくありましたが、国内は富士に定住しています。
機械いじりが好きなので、自転車やオートバイの分解整備などが好きでした。それが好きで自動車関係の会社に入りました。ドローン操作やプログラミングも大好きです。

(日本語) 機械電気をいじることが大好きです
最近は小動物を飼うことにハマっています。一部、奥さんが嫌がっていますが(笑)。

(日本語) 小動物を飼っています
冒頭お話しした通りジヤトコは転換期にありますが、佐藤社長が「100年企業を目指す」とおっしゃっているので、それに向かって頑張ろう!という思いです。皆さん、よろしくお願いします。