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からくり改善 黒中さん ジヤトコのモノづくりを支える「からくり改善班」の第一人者・黒中さんインタビュー!

皆さんは、JEPS推進部の「からくり改善班」の存在をご存知でしょうか?「からくり改善」とは、お金を掛けずに知恵を使って現場の困りごとを解決する改善のことで、省エネルギーや環境負荷低減にもつながるため、近年、製造業を中心に大きな注目を集めています。 今号はその「からくり改善」でジヤトコのモノづくりを支えている改善班の第一人者、黒中さんへのインタビューです。「餃子の王将で中華鍋の上を焼き飯が宙に舞っているの見て、作品を思いついたんです!」と笑顔で語る黒中さんに、仕事への情熱、モノの見方、やりがいなどを教えていただきました。

Fig.1 からくり改善の第一人者、黒中さんが大好きな仕事について語る

黒中さんプロフィール ~からくり改善への飽くなき挑戦~

✓特許取得数 :6件(出願9件。すべて「からくり改善」に関する案件で取得)  ✓展示会出品数:15件 数々の受賞歴を誇る ✓受賞作品(一部紹介) ※直近のからくり改善リアル展示会では、2大会連続で努力賞を受賞されています

2019年受賞作品

■受賞作品:引っ掛けムーブ ■作品概要:AGVの推進力のみを利用し、自動で動くシューター

2022年受賞作品

■受賞作品:はい お待ち! ■作品概要:レバー1回の操作(1動力)で4動作を制御し、部品を作業者の手元に届ける装置

からくり改善班に大抜擢、ジヤトコでさらに改善にのめり込む

私の社会人生活は、1981年18歳で京都の料亭に修行に出たところからスタートしましたが、ほどなくして体調を崩し、京都の小さな町工場に移りました。町工場では、客先からもらった図面を自分で読み解き、加工、組立まで仕上げて納品する仕事で、はじめはとても苦労しましたが、約10年続けたことで地力がつきました。その後、私が30歳、ちょうど次男が生まれた頃に、縁あって1993年に中途で三菱自動車の京都工場に入社しました。京都工場では初め生産ラインに入ったのですが、私は短時間で同じモノを同じ品質で作り続けることが苦手で、失敗することもありました。一方で、町工場の経験を活かし、職場の改善提案などをしていたことが工長の目に留まり、改善班に入れてもらえることになりました。当時の改善班は定年前のおじさんばかりで、30歳そこそこの若手が入るのは異例のことだったので、選ばれた時はうれしかったですね。これで、町工場での経験を活かした仕事ができるぞと。しかし、主に任される仕事は、蛍光灯の向き調整、作業台や配管を修繕したりと、便利屋のような役割だったので、もっといろいろできるのにとモヤモヤしていた時期でもありました。 その後、会社の合併で2003年にジヤトコに入りました。ここでも改善班に入れてもらい、京都工場の5工場で仕事に励んでいました。ジヤトコの改善は取り組む範囲も広く、俄然やる気になって仕事に打ち込みましたが、つねに現場からの要望は「安く作ってね、からくりで」でしたね(笑)。2004年に考えついた「勝手にシーソー ※アイデア賞を受賞(Fig.3)」もこの頃できた作品で、からくり改善展初受賞作品となった思い出の作品です。

Fig.3 勝手にシーソー @2004からくり改善くふう展でアイデア賞を受賞

職業病⁉ 私のモノの見方

長年からくり改善の業務をやっているせいか、私は日常生活でも改善に使えないか? という視点でモノを見てしまいます。昔は、子どもを連れてゲームセンターに行き、クレーンゲームなどの動力部分をジーっと見てヒントを探したりしていました。でも、私は食い意地がはっているのか分かりませんが、食べ物関連からアイデアを思いつくことが多いんです。例えば、子どもを連れて餃子の王将に行った時のこと、調理スタッフが焼き飯を作っていて、焼き飯のご飯が中華鍋の上で宙に舞っていたのを見た時に「これや!」と。ワッシャー整列器を思いついたんです(Fig.4)。バラバラのワッシャーたちを上下運動で一度宙に打ち上げて下に落とすと面白いようにワッシャーたちは、下の溝の中で整列してくれます。作業性アップ以外に、生産タクトの短縮、仕損防止などにつながり、現場作業者からは「この装置のおかげでムッチャ楽させてもろうてる!」なんて言われたり、とても喜ばれました。中・大型FF車用6AT(商標名:JF613E)の生産ラインで採用された事例です。 もうひとつはジンギスカン鍋。家族でジンギスカンをしていて、焼けたお肉が焦げないように鍋の周囲の穴の上にお肉を避難させるのを見て、コンバーターハウジングのボルトを一括で仮組み付けする作品「ボルト送入機(Fig.5)」を思いつきました。これもRA5のラインで長いこと使ってもらいました。 日常生活の中には、仕事をラクにしてくれる改善のヒントが隠れているので、無意識に見てしまいますね。もう職業病です(笑)。そんな私の背中を見て育った子どもたちは、長男、次男ともに今八木工場で働いていて、長男とは改善班で一時期は一緒に仕事をしていました。今は組み立てラインですが、血は争えないってことかもしれません。

Fig.4 ワッシャー整列器 改善のヒントは王将の焼き飯にあり

Fig.5 ボルト挿入機 RA5ラインで長年活躍

仲間たちに支えられて30年、ジヤトコのからくり改善はさらに飛躍する

作品を仕上げる時は苦しいことが多いです。京都八木地区で2004年にアイデア賞を取った作品「勝手にシーソー」をやっていた時は、完成間近の時に大雨が降り工場内で浸水したんです。滝のように流れる水が装置に降り注ぎ、装置は壊れ、私は心が折れてあきらめていました。そんな時、作品を手伝ってくれていた中西さん(現:JEPS統括部)の必死の協力と励ましもあり、なんとか納期に間に合わせることができたのです。本当に自分だけではどうにもなりませんでした。中西さんとは、もう10年以上も一緒に改善の仕事をやっていますが、心強い弟のような存在です。

そして、現在は堀江啓介係長をはじめとする改善班のチームメンバー。近年とくに省エネルギー化の波で、各社がからくり改善に力を入れています。トヨタ圏各社はもちろん、日産自動車も改善教育を体系立て、若手中心にシフトし、出展作品のレベルも飛躍的に向上してきています。ジヤトコもこれに負けないように、腕に自信のある曲者揃いのからくり改善班のメンバーを堀江係長がドンとまとめあげ、他社よりも少し遅れていた作業標準化なども精力的に進めています。

堀江さんが改善班にきた当初、言葉のニュアンスの違いで自分のやってきた改善を全否定されたような気持ちになってしまった私は、けんか腰で堀江さんに喰って掛かったことがありました。今となっては本当に申し訳なかったと思いますが、そんな私を飛ばしもせんと使いつづけてくれた。堀江さんと信頼関係が築けてからは、なんでも腹を割って相談ができるようになり、私の作品のレベルも一段レベルアップしたように思います。

今回努力賞を受賞した「はい お待ち!」でも、作品のバランス調整に手間取り、なかなかうまくいかなかった時、堀江さんは『まだ時間はあるから』と慰めてくれたと思えば、やっと調整ができ完成やと思ったら、『まだ時間があるから、移動端のストッパーはからくりチックにやるんでしょ⁉』と笑いながら鬼のような一言を言い放ちました。結果、最後まで粘り強くやり抜いたおかげで努力賞が取れたことは間違いありません。作品の最後の詰めが少し甘くなりがちな私をうまくコントロールしてくれる堀江さん、年下やのに頼れる兄貴のような存在です。

それに今回のからくり改善展2022は、GKTC(Global Kaizen Technical Centerの略)の仲間たちが一致団結できて臨んだ結果、コロナ禍などモノともせず、ジヤトコブースは今までにない賑わいと活気にあふれていました。ここから「からくり改善班」は、他社に追い付き追い越せで、さらにレベルアップしていく予感がしています!

からくり改善班の仲間たち、頼りになります!

好きなことを仕事に、もうすぐ60歳やのにワクワクがとまらない

私は3月で一旦、節目を迎えます。八木から単身赴任している身としては、その後どうするのか? という話になった時に、「家賃は自腹をきってでも、改善班に残りたい(相談当時、嘱託の方の単身赴任が認められていない時期でした)」と迷わず答えました。

私はラインマンとしては欠品、誤組付けで工長を泣かせたこともありました。そんな私でも改善を続けるうちに『こいつに任せておけば、安いし早いし業者よりなんぼええか』なんて褒めてくれる係長さんも出てきてすごくやりがいを感じました。改善仕事30年となりますが、今までいろいろな人に出会い助けられながら、なんとかやってこれました。

先日、生産部門のパーパス浸透活動で「ワクワクを探そう」というワークショップがありました。私は「からくり改善の仕事がワクワクそのものや」と思いました。自分が考えた改善作品の試作品を仕立てて、実際にモノを動かす瞬間は、今でもワクワク感で胸がいっぱいになります。「からくり改善」という仕事が好きで、「私の人生そのものや」と思っていますし、そんな仕事に出会えて感謝しかありません。

最後に、ワクワクしながら一緒にモノを作ってくれる仲間、しんどい時に助けてくれる仲間、なにより、結果が出た時に一緒に笑ったり、悔しがったりしてくれる仲間と一緒にいてください。そうすればきっといいことがあると思う私です。

「からくり改善は私の人生そのもの」プロフェッショナルな一言をいただきました!

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