「エンジニアたちよ、誇りを持て」~高橋フェローに聞く”Back to engineer”
フェローに就任されて半年。高橋さんインタビュー前編は、原点ともなるキャリアヒストリーです。お見逃しなく!
今年4月から、ジヤトコのフェローに就任された高橋さん。昨年度までは開発部門の担当役員、また現在もジヤトコエンジニアリングの社長として、とくに開発部門の皆さんには言わずと知れた有名人ですが、フェロー就任を機に、改めてご自身の今日に至るまでのバックグラウンド、そしてフェローとしての想いを語っていただきました。前・後編の2回連載の前編は、「高橋さんはどのようにして今日の高橋さんになったのか」。そのキャリアストーリーです。皆さんの参考になるヒントが見つかるかもしれません。
実験部の現場で学んだ魂のコミュニケーション
私の会社生活は実験部から始まりました。仕事のプロセスが今とは少し違いますが、当時の実験部は強かった。若い頃から、現場でモノを見たり触ったりする行動や、自分が「うん」と言わないと商品が出せないという責任感が身についたと思います。現場では鍛えられました。「お前の言うことは聞かない」と(笑)。「ちゃんと説明してみろ」と言われて、自分が分かって説明しないとなかなか納得してもらえない。でも、自分で理解して、自分の言葉で、魂を込めて説明すれば納得してもらえる、と身をもって体験しました。その場に行ってお願いして、納得してもらって仕事が進む、ということを知らないうちに訓練させられました。それが自分のベースラインです。今は設計の役割も大きくなって、システムで保証される仕組みもある。でも、自分で考えて相手の顔を見て説明し納得してもらうコミュニケーションは、今でも大切だと思っています。
ウソをつかない物理学と自分で判断するしかないレース
10年くらい経つと生意気になってよく逆らっていました(笑)。エンジニアでよかったのは、自然物理学はウソをつかないということ。えらい人がやっても若手がやっても正しいことは正しく、間違いは間違い。間違えなければ答えは同じです。何かと歯向かって、上の人たちは「なんだこいつ生意気だな」と。でも、いろいろな人が見てくれていました。ちょっと鍛えてやろう、ということで、ル・マンのエンジン開発に携わることになりました。レースは、現場が最優先、結果がすぐ出る、自分で判断するしかない。この経験は、ひとつのターニングポイントになりました。現場にはすごい先輩がたくさんいて、ここでも本当にメンタル面で鍛えられましたが、「『分かった』、と納得してもらうとすごい」という世界は同じで、これまでの経験を生かして乗り越えることができました。当時の重鎮とは今でも定期的に交流しています。
米国で経験した衝撃のクオリティオブライフ
90年代後半に管理職になってからは、現場から離れて燃費企画などをやっていましたが、2003年から3年間、日産テクニカルセンターノースアメリカのダイレクターとして米国に赴任しました。そこで経験したのは、日本とはまったく違う米国の文化。前任者から「家族半分、仕事半分」と言われていましたが、おれは家族がいるから残業しない、と言って帰っちゃうやつがいる。働き方改革当たり前、定時で帰るのは当たり前。その代わり朝早く来るやつもいますが、家族も仕事もどちらも大切なんです。仕事だけやってるんじゃだめ、家族と仕事が半々だというクオリティオブライフの考え方を、ひしひしと感じました。この海外体験は、もうひとつのターニングポイントになりました。
会社を超えたネットワークで視野を広げる
2006年に帰国して、部長になりました。当時の自動車業界は、OEM同士が競っていて横のつながりはありませんでした。そんな中、あるきっかけでほかのOEMと部長レベルで話しましょう、ということになりました。ホンダの三部さん(注:三部敏宏さん、現・本田技術工業株式会社代表取締役社長兼CEO)もまだ部長の時代でした。皆それぞれに悩みがあって、話すとああそうだよねえ、と。これからは日本も企業同士が連携しないと戦えないと、みんななんとなく思っていました。お互いに情報交換をしながら、横の連携ができ始めたんです。グローバルに見ると欧州は横の連携がすごい。大学の同期が横につながって、昨日はボッシュ、今日からBMWと会社間の垣根が低い。こういうことをやられたら負けるなと思いました。高度経済成長時代はよかったけれど、これからは競争と協調の時代。日本でもAICE*1とかTRAMI*2とかができてきました。経産省も産学連携と言い出して、MBSE*3などをやり始めました。電動化の時代になって、そこはもっと変わると思います。 *1 AICE: 自動車用内燃機関技術研究組(The Research association of Automotive Internal Combustion Engines) *2 TRAMI: 自動車用動力伝達技術研究組合(Transmission Research Association for Mobility Innovation) *3 MBSE: モデルベースシステムズエンジニアリング(Model Based Systems Engineering)
副社長からフェローへ
2013年からはジヤトコの開発部門担当役員を約10年やりましたが、その間は品質や電動化などいろいろな課題がありました。そんな中で、部門やヒエラルキーを超えた横の連携がよくなってきたと思います。大きな組織は分業になりがちですが、ジヤトコは適度な大きさの組織で機動力もある。ジヤトコエンジニアリングは、ジヤトコよりも小さい組織ですが、横の連携が実にうまくとれています。そして今思うのは、モノづくりはエンジニアリングそのものだということ。技術力さえあれば不安に思うことはない。今は、これまで以上に、エンジニアのチカラが問われています。フェローとしてのミッションは、ジヤトコの技術、エンジニアリングをさらに高めること。それが、”Back to engineer”という言葉になって、自然に出てきました。
高橋さんのキャリアヒストリー、いかがでしたか? 次回は、いよいよ高橋フェローの”Back to engineer”に迫ります。お楽しみに。